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悪の教典/三池崇史/2012/日本
面白いスプラッター映画だった。
映画としてはとても良くできていて楽しめた。
ただ原作未読ながら、貴志祐介の良さは生かされていないと思う。
全体が「モリタート」という明るい曲調の歌で絞められている。これが素晴らしい。
冒頭ではメロディばかりが流れているモリタート、繰り返される内に歌詞が字幕で入ってくるのだが、そこで歌の内容の凄みに気づく。怖い。もうこれだけで戦慄する。もともと歌に馴染みがあるならあたまっから鳥肌が止まらないんじゃないか。
主題的に曲を使っているところは原作どおりらしい。モリタートの聞こえてくるような小説とは如何なるものか。是非読んでみたい。
スプラッター的な予感はしているとむしろ退屈な前半はハスミン(主役の蓮見先生)の好青年ぶりを如何なく映し出す場面で、伊藤英明の既に培われた爽やかな印象と演技力でもって完璧ないい先生を蓮見像に抱く。まあ肝心の英語はちょっと…。だがそこは忘れよう。どうせ忘れる。
この好青年の憎めない笑顔が後半になるとそのままで脅威になるのだから恐ろしい。伊藤英明すごい。
いい先生を演じるのに問題はないだろう、むしろこれ以上ないだろうけど、サイコキラー演れるのか?と思ってたから大変裏切られた気持ちである。伊藤英明ずるい。
有名な部分だが、前半にはエロスありカラスありモンペあり。なぜか体育教師の女生徒へのセクハラは描写割愛し、美術教師と男子部員のベッドシーンはしっかりやる。
あ、でもそこは気合い入っててよかった。女子だと裸見せるにも倫理観厳しいから男子で思いっきりやりたかったのかも知れない。もしくは。
エロだけでなくスプラッシュに入る前の何件かの殺人の見せ方切り方を考えると、この映画がB級ホラーでもないのはその辺のある種耽美な映像のせいだろう。下品な感じというか、直情があまりない。なにもかもにワンクッションある。それが怖さに功を奏すのが特にガムテぐるぐるのくだり。エグいので詳しくは書かない。ただガムテの巻き方にすらショックを受けた。
カラス素晴らしかった。どこまで天然のカラスかわからない。悪者ではないはずなのに恐怖を感じさせる無表情じみた丸い眼が、後半の蓮見の感情の欠落した円らな瞳とリンクしている。よくこの観点でキャストを活かしたと思う。感動。
ただカラス殺しに関してはちょっと省きすぎ。
そこだけ原作読んで知っていたからいいけれど、電流の仕掛けは説明なしでやるなら他の方法を使うべきだった。フギンムニンとハスミンの両方が頭悪そうに見えて残念である。
それにしても日本人の好きそうなホラーだ。
後半は思いきりがいい。血がばんばん飛んで、人がばんばん死んでいく。レインコート着てショットガン撃ってるところなんかはスプラッターの鑑みたいなもんで、和製では滅多に見ない割りきった映像作り、こういう映画が陽の目を見ること自体珍しいと思う。
それもエンタメに振り切った表現のベースメントが貴志祐介だからできること、なんじゃないか。To die?なんてウィットがいいよねえ。
そういう地力は強く感じる。一方で、貴志祐介特有の人間の厚み、鋭さ、コミュニケーションの流れ、みたいなものはやっぱり死んでる、違うな、メインじゃない感じがする。
ウェブでコメントを散見したところ、「大変怖かった」「派手なスプラッターでよかった」という意見を見る一方で、原作ファンや「サイコホラー」の触れ込みに興味を持った人は「期待と違っていて残念だった」と言っているように感じた。
もし原作未読でエンタメスプラッターではなくサイコホラーが見たいならば悪いことは言わない、DVDを捨てて活字本を手に取るべきである。
貴志祐介といえば「黒い家」が傑作。
最近では「鍵のかかった部屋」というドラマや「新世界より」というアニメも同作者で人気を博しているのでご存知の人も多いのではないか。
映像作品の方はほとんど見ていないのでどうか知らないが、原作版黒い家では精密で流れのある心理描写で人間怖いを極めているので印象的だった。書録に付けていないがとても好きな作品である。
その辺から察するに、主役の蓮見の異常性を魅せる方に比重を置いているのが原因でこの作品は信憑性<猟奇性を強く感じる。もちろんこれは態とだろうが、原作からかけ離れた印象を持つ人が少なからずいるわけだ。
くっそ長い分厚い本なのに読み出すと止まらないのが貴志祐介。それは出来事の面白さじゃなくて、人間の心の動きがよく流れているから。心をいいように持っていかれて感情移入してしまうのに、今回はホラーだからほんと恐ろしい。
ハスミンに寄るか、被害者に寄るかで作品の感想も変わってくるだろう。
殺人鬼の気持ちに感情移入なんかするかって思うだろうが、できちまうんだから怖い。
話がそれた。映画の内容に戻る。
ハスミンの異常な(やってることはランニングとかでも薄ら怖い)行動もあって暗い画面が続くなか、
はしょった、もとい印象的なカットに留めた感の否めないハスミンのアメリカ生活の回想がまた異色であった。
一時期行動を共にした猟奇殺人鬼の場面のライティングがことさら明るく、コミカルというかアットホームというか、スペイン映画みたいなビビッドな画面なんである。なにしてるかっていうと、死体を運んでいる。死体を運んでいるんだが、一見死体に見えない。バケツいっぱいの血と肋骨と十二指腸。白いゴムつなぎみたいな作業着着て。びゃああ。
この死体に一瞬見えないのは血の量とか常識では考えられないオーバーテイクのなせるわざだろう。普通ならこのくらい、それを越えると異常。それも越えたら理解不能。理解できないもんは怖い。明るい画面だから余計怖い、うまい表現だと思う。
それにしても猟奇さんはえらく楽しそうにしているのに対し、ハスミンは作業全開というか、退屈そうにしている。彼にとっては死体の処理は本当に作業なんだろう。
後半の舞台は文化祭の準備中の学校。ここの飾り付けもサイケで素晴らしい。
きっと原作では文化祭=楽しい時間の準備をしている学校という希望に満ちた場所が舞台になることで絶望感溢れる演出が目的だったのではないかと想像するのだが、映画ではそれにとどまらず、非日常感、派手な舞台、色彩美、広いのに逃げ場がない狭さも感じさせる不思議な空間作りと果てしなく有効なシチュエーション。
あとは人が死ぬだけ。映像にやれることに特化した映画なんだから映像美と蓮見の演技を楽しめばよい。
ただポリシーに則ってひとつ文句を言っておくと
ラストの演出は作品を駄目にする悪行であった。
ピカレスクロマンであるし、勧善懲悪は寧ろ現実的でないのも加味するとさほど悪いオチではないのだが、映画的に安易だなあ、もうちょっとやり方なかったのかなあと残念に思う。
だらだら書いてしまったが一言でまとめると、いい映画だった。
寸感。
人が死ぬ映画は実録ドキュメンタリーでない限り実際には人(キャスト)は死んでいないのだから、絶対になにか感じろと言うのも無闇な話である。一方で人が死ぬ映画はどう見ても人が死んでいるのだから、なにも感じるなと言うのも無茶な話である。
わかってもらうのは多分に難しい。
映画表現の話をする予定だったのだが、ここまであまりに長いので別の機会にとっておこう。
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